メッセージ/証MESSAGE

救いの恵みのすばらしさを私たちがお話します。


神様に出会うことで人生をやり直すことができます。(神の愛)
病いからの解放、死の恐れからの開放。(イエス様の恵み)
人生のすべてのマイナスは必ずプラスになります。(聖霊の働き)
ここに紹介しているものはごく一部のものですが、
あなたにも180度の方向転換を体験していただきたいのです。
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E スタンプス U 孝男 T 朋子 M  淳
M 正英・世伊子 M 沙紀 Y 博将 N  新也

「神様の導き」 E スタンプス

私が初めて聖書を読んだのは2012年の始めの頃、友達に誘われて行ったバイブル・スタディの集まりでした。中川健一先生の解説で創世記から読み進めて行くというまさに聖書の勉強会でした。聖書ってこんな事が書いてあるんだ、でも解説がないと全く意味がわかない!と思いましたが、もっと知りたいと思い、勉強会には何度か参加しました。

五月には離婚を決め、仕事を探そうとしましたがなかなか決まらず、そうこうしているうちに、大家さんの都合で住んでいる家を出なくては行けなくなりました。条件のいいアパートも見つからず、”シングルマザーのスタートはハワイがいいよ!ハワイに行きなよ!”との友達のアドバイスをきっかけに、大好きだったハワイへの移住を決めました。このアドバイスをくれたのもクリスチャンのお友達で、今思えばこれが彼女を通して最初の神様からのメッッセージだったような気がしています。

その後は不思議なくらい物事はスムーズに進みました。引っ越しの見積もりに来てくれた人がハワイから移住して来た方でいろいろと教えて頂きました。その方のアドバイスは”この家にあるもの、ほとんどハワイで必要ないよ、住む家も決まってないのに、こんなに大量の荷物が届いてどうするの?”と言う事でした...確かに、そうかも知れないなと毎週のようにガレージセールをして物を処分しました。段ボール十三個とサーフボードを宛先が空欄のまま発送しました。

九月に娘と二人、ハワイに来てしまいました。便利な場所に住む所も決まり、すぐにマキキの教会に行きました。大きな教会でたくさん人も来ていましたが、初めて入って来た私達を、とても暖かく迎えてくれました。ランチもおいしくて、来てよかったと安心しました。

娘もここのプリスクールに入れようと申し込んだその週に、仕事が決まりました。教会の方からの紹介でした。まだ私に会った事もないのにどうですか?と紹介して下さって、未経験の仕事でしたがすぐに決まってしまいました。そしてこのお仕事が、私が今までやっていた終わりのない家事や子育てとは違い、締め切りや、答えや終わりある、とても達成感のあるやりがいのある仕事で、”あなたは今こういう事をしなさい!”と神様が用意して下さっていたように感じました。

タイミングよく一二月の洗礼式への向けてのミーティングにも参加する事ができ、魚の大群と皆さんに祝福されて無事に、洗礼式を終えました。そしてその日の礼拝でのメッセージ  「真の光の来臨」っていうヨハネの一章十三節?一六節のお話、光が来るから受け入れなさいって事だったんだって気がつきました。

去年一年、不思議な縁でたくさんの人に出会い助けてもらいながら、導かれるようにハワイに来られました。不思議だった出来事も少しずつつながってきました。
たくさんの出会いと導きに感謝して、これからも娘と二人、ハワイでの生活を楽しみたいと思います。

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」
マタイの福音書七章七節八節
 「共通の願い」 U 孝男

私は一九三六年四月一四日、父・重男、母・澄枝の長男として名古屋に生まれました。四才の時に大阪に移り、途中九年間転勤で九州・福岡での生活をしました。その後人生のほとんど、今日に至るまで大阪で生活をしております。

私が始めてキリスト教に触れたのは、高校の世界史の先生を通してでした。その先生はクリスチャンで、高潔な人格者であり、多感な高校生を熱心に指導されておられました。人生の指針となる何冊かの本を勧められ、その中に、ヘンリク・シェンキェヴィチ作『クォ・ヴァディス(Quo Vadis)』と言う、確か日本語題名が「どこへ行くのか?」と言う本を読み、その純粋な「愛」の世界に深い感銘を受けた記憶があります。

私は将来の進路として当初医者を目指しました。しかし、医学部受験に失敗し一年の浪人生活の後、同志社大学商学部に入学しました。当時同志社大学の学長・大下角一先生が大阪の日本基督教団・南大阪教会の牧師をされておられ、熱意あふれる説教をされておられました。その頃二年間程、教会につながり聖書を学びました。また、大学ではSCA(Student Christian Association)と言うキリスト教連盟にも入部し、キリスト教についての学びをしていました。しかし、同時に入部したワンダーフォーゲル部の活動で熱心に山に出かけるようになり、そちらの活動が中心になってしまいました。

大学の卒業と同時に、松下電器(現在のパナソニック)に入社しました。社会人になってからは、全くの企業戦士となり、定年退職を迎えるまで三六年間、終始営業部門の第一線で働きました。この間二九才で妻・光子と結婚し、三人の子供をもうけ、現在三人共大阪近郊でおのおの独立し、孫娘四人の「若草物語」です。

家内の光子は実家が浄土真宗、本人も仏教系の学校を卒業していました。これまでキリスト教との出会いは全くなかったのですが、四〇年前大阪キリスト教短期大学付属幼稚園に通う三人の子供に導かれるように教会の門をたたきました。一年あまりの求道の後、クリスチャンになりました。そして、まもなく続いて私の妹が、その後に姪二人が受洗。福岡に移り住んで二人の子供たちが受洗。大阪に戻ってまもなく光子の母が洗礼こそ受けませんでしたが、明確な信仰告白をして亡くなりました。更に私の母が当時八六才でしたが洗礼にあずかりました。この度の私の洗礼で、家族・親族八名が洗礼を受けたことになりました。真に神様のなさる御業はすばらしいと思っています。

しかし、今日私が洗礼を受けるまでには実に 六〇年近くの時間の経過がございます。私は兼ねてから人生の晩年には洗礼を受けるビジョンをかなり以前から描いていました。今年私は今七八才ですが、自分自身の人生設計として八〇才まで『健康寿命』(自分で自立して生活できる寿命)を全うし、それ以後の人生は自分にとって、神様からのギフトだと思っております。

また人生の終末において、パートナーである愛する光子に『喜んでもらえる人生を送ってほしい』、『永遠の愛に結ばれた人生を送ってほしい』と願ってきましたが、そのためには、私がバプテスマを受け、クリスチャンになる事が不可欠な要件でした。私の受洗を忍耐強く一番に祈り、願っているのが、わが愛する光子である事は十分に分かっていたからです。彼女は私に「洗礼を受けなさい」と強制したことはありませんでした。しかし、その祈りと願いは、その姿から十分過ぎる程、私に理解できました。

彼女は受洗後三〇数年ずっと月に一度の家庭集会を続けてきています。私もいつもではありませんが、彼女と共に教会の礼拝に出席し、家庭集会にも顔を出してきました。現在子育てもすべて終えて、子供たちもおのおの幸せな家庭を築いており、おのおのの婚家との関係もすこぶる良好であります。また、友人・ご近所・コミュニティの人たちとの関係も大変良好で本当に感謝につきません。
また来年二〇一五年が私たちの結婚五〇周年(金婚式)にあたり、その年を、神を信じるクリスチャンとして二人揃って迎えたいと思っております。

こうした諸々の想いの中、去る二月二日の聖餐式で「時は今だ」と言う「聖霊の働き」があり、「受洗の決意」を致しました。以上のような私自身の決意の経過であります。何はさて置き、私の決意に一番の影響を与えてくださったのは、マキキ教会のすばらしいスピリット、クリスチャン精神です。具志堅牧師を中心とした教会員の皆様、のぞみの会・祈祷会・ミニチャーチで、かたくなな私を、忍耐をもって、ねばり強く、仲間に入れていただき、祈り・応援し、そして指導してくださったお蔭です。本当にありがとうございました。

特に石谷福子さん、池澤千尋さんには心から御礼を申し上げます。また教会員皆様にも、心から御礼申し上げます。このマキキ教会を創立された同志社大学の大先輩である奥村牧師の教会で、はるか後輩である私が洗礼を受けるという事は、本当に奇遇(神の御業)であります。神様のなんと言うご配慮であり、祝福であるか、誠にもってハレルヤです。

振り返れば、一七年前私が直腸ガンを患った時、神様のご加護と光子の祈りで完全復帰をさせていただきました。また、四年半前、今度は光子が子宮ガンと乳ガンの二つのガンが見つかりました。子宮ガンの手術だけで、後は何の治療もせず、神様のご慈愛とご加護にまかせ、今日に至っています。ガンになる以前よりも良い体調で毎日生活できていることは、真に『神の御業』という他ありません。

まだ先の話ではありますが、いつの日か、私ども天国に凱旋する時には、二人揃って、ハワイの海に散骨してもらうのが私どもの共通の願いとなっています。
本当にありがとうございました。    Thank you very much! Mahalo!

 「父を想う」 T 朋子

私の父は典型的な九州男児。鹿児島に生まれ、七人兄弟の長男。
子供のころから「長男教育」をされて育ったといいます。その父は、とても厳しく馬から落ちてすぐにでも病院に運ばなければならない状況の中でもバケツに入った水をかけて帰ってしまったというちょっと前なら「スパルタ」今なら「虐待」とも言われかねない祖父だと聞いて私は育ちました。

残念ながら我が家には男の子が与えられなかったので、父のスパルタぶりを見ることは生涯ありませんでしたが、箸の上げ下ろし、玄関での靴の脱ぎ方、挨拶など、行儀にはとてもうるさく、今でも他所の家に上がるときは父の声が聞こえるくらいです。

そんな父も現役を引退し、シングルマザーの娘の手伝いにと、ハワイに通いはじめ、私たち家族がお世話になっているマキキ教会に、お礼詣りのように毎週集うようになりました。教会の方々に会うと「いつも娘と孫がお世話になっています。」と頭を下げ、同じ場所に座り、メッセージを聞き、ご飯を食べて帰るという日々が過ぎていきました。
毎月一回の家庭集会では、先生の話を聞きながら、その後の飲み会(?)を楽しみにしお酒が飲めそうな人を見つけると「まーまーまー」とお酌をする始末。

そのうち誰彼ともなく「お父さんはいつ洗礼をうけますかねー」という声が聞こえると
「私は長男でお墓を守らなければならないので・・」と丁寧にその場を逃げていました。

そんなある日の日曜日、村松兄が父に駆け寄り、「お父さん、昨日夢を見て、神様が、『山崎徹さんにイエス様を伝えて救われるように導きなさい!』と言われました。」とまことに大胆に語られました。私は一瞬どきっ!しましたが父が「ありがとうございます。」
と素直に感謝する姿を見て「今日がその時です。」という声が聞こえたかのようでした。

父は、ハワイ滞在の教会生活の中で、心が開かれ、聖霊を通して安心をして、その兄弟の声を受けたのでしょう。

「神のなさることはすべて時にかなって美しい」
(伝道書の書三章十一節)

その後はとんとん拍子に事はすすみ、マジックアイランドでのクリスマス受洗式には、5人の男子のみという素晴らしい日が迎えられたのでした。
皆さんから「お父さん」と声をかけられ、この世に男の子を授かることはなくともたくさんの息子のような方々に囲まれ、その後七五歳で昇天するまでの二年間は、新たな命と希望をいただいた日々であったと信じています。
今日の父の日、あらためて父を想う日でありたいと思います。

               
 「父の救い」 M  淳

この度、父が八八歳を目前として洗礼を受けました。わたしの三ヶ月間の実家滞在中に起きた出来事です。父は認知症の初期症状があり、教会生活も時々礼拝に出席する五年間でしたが、牧師先生が折りにふれ家を訪問してくれました。聖書を部分的にしか理解していない父ですが、イエスさまを信じる事だけはしっかり心に留めていたようです。

洗礼式は、帯広バプテスト教会の松崎牧師が執り行いました。実は、この松崎準牧師は、ハワイアンミッションアカデミーで勉強され、その後メンランドに行かれました。ハワイで過ごされた松崎先生と自分は心通じるものがあり、父の洗礼において一緒に神のみ業に感動しました。以下、帯広バプテスト教会へ掲載した証をご紹介します。
いつも教会で父(松浦清一)がお世話になっています。僕の父は趣味というものがなく仕事が趣味のような人でした。

多分、毎日の唯一の楽しみは今でも続いている晩酌です。最初は獣医をしていました。今の様にペット系ではなく、その頃は牛や馬が中心で、家畜の病気やお産などの助けをしていました。その後、人間を診る医者を目指していましたが、僕のおじいさんが無くなり長男ゆえ、五人の兄弟姉妹をやしなう一家の柱になり、その夢はかないませんでした。次の仕事は資金のない中で始めた氷屋でした。いわゆる冷たい氷・アイスの塊、大きいのは長さ一メートル、幅二〇センチぐらいを売っていたのです。

今では考えられませんが昔は氷を作る冷蔵庫がまだなかったのです。その仕事をしながら独学で法律を勉強し、司法試験を受け、何度もトライして七回目にして受かったそうです。それからずっとリタイヤするまで司法書士をしていました。
教会にくるきっかけと信仰について父は僕がクリスチャンになり、日本に帰国するたびに食事の時にする祈りをいつも快く聞いていてくれました。

五年前のある日、父は母と一緒に教会を探していました、恐る恐るドアを開けた教会がここでした。そこには、昔の仕事関係で顔見知りだった斉藤彰彦さんがいました。そして松崎牧師は僕が永住しているハワイに住んでいた事があったのです。そんな訳で父が打ち解けられた事も幸いです。きっと神様のお導きだったと感じました。

その父が三年くらい前から脳梗塞の後遺症により認知の症状が出るようになりました。話の内容が明らかに変であったり、会話にならない時も最近はあります。ちょっと前までは「お父さん、あす教会に行く?」と聞くと「うん、行こう!」といつも元気な返答が聞けました。

父は教会が好きです。また父は賛美歌の本が好きです。聖書はちょっと難しい所があるけど、この本はわかり易い、そしてなにか気持ちが安らぐなぁ〜と言います。頑固な面を持つ父親ですが、聖書の言葉は最初から疑問を持たず、真っ直ぐに入り込める父は幼子の様に純粋な信仰だと思います。父が元気なうちにバプテズムを受けられる様、そして兄弟姉妹の一員になれること、そしてイエス様に喜んでもらえる事が僕の願いでもあります。
 「迫害を受けることの幸い」 M 正英・世伊子

父と母がクリスチャンになった事は、奇跡の奇跡でした。私達夫婦はグアムでクリスチャンになり、私の両親にこの恵みと本当の神様を伝えたいと、毎年日本に帰省して神様の事を話していました。何年か経ったある日、キリストの話ばかりするからもう日本に来るな、「実家出入り禁止令」が降され、私も「父が死んでも、もう帰らない」と大げんか。

その時は憎しみさえ生まれたのです。祈っても無理、夫に祈る事を止める様に言いましたが、ローマ書 十二章十四節
「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。
祝福すべきであって、のろってはいけません。」夫は諦めないで一人で祈ってくれていました。

祈り始めて 十二年「助けて」と電話がありました。父は肝がん、母は転んで肩を脱臼して父の世話が出来なくなりました。何が有っても実家に帰らないと思っていた私が帰国したのは実に 六 年ぶり、今度は仕える者とさせてくださいと祈りました。病の父はそこに聖書を置くな、祈るなと言います。神様は私に黙りなさいと言われるので、父が何を言ってもじっとこらえました。これは私の力ではありません。

本当は悔しくて、お風呂で声を上げて泣いて祈っていたのですから。父は何も反論して来ない私を見て、「お前変わったなあ、ちっとも怒らん」と言っていました。
両親は大阪から息子の住む姫路に籍を置くことに決めました。二人では無理だし、海外生活の私達には見てもらえないと思った様です。
そんな不安状態の時に、私達の知り合いの伝道師の方が 三人も来て下さいました。

今までの感謝やこれからの祝福の祈りをして、一緒に続いて言ってくださいと言われた言葉は、何と信仰告白だったのです。            後から母は「もう私達の事は構わないでください。宗教は変えられないのです。」と言いました。帰られた後、私は父と夫は母と別々の部屋で話をしました。

「これから先、苦しくなったらイエス様助けてと言えば必ず助けてくれるから」そして、十字架のイエス様の事と極悪人が最期に救われ、永遠の命を授かった事を話しました。すると、父は「分かった、信じる」と言うの
です。別の部屋でも母が信じると言っていました。私達は「信じられません」
十二年間も反対し続けて迫害に会っていたのですから。二人を一緒に並べて、恐る恐るもう一度確認を取り信仰告白に導きました。父は私達の信仰を直ぐに飽きて止めるだろうと思っていたが、何年経っても熱心に毎週教会に行っている姿を見て、自分も同じ神様を信じて見ようと思ったそうです。聖霊様の働きを感じました。
使徒の働き 十六章三一節「主イエスを信じなさい。そうすれば…」この御言葉が成就されたのです。

姫路に引越しして、父は直ぐに入院、姫路の牧師さんが両親を病床洗礼へと導いてくださり、三ヶ月後父は天に召されました。我が家系初めてのキリスト教葬儀で、それは大宣教大会になりました。母は父が召された後、認知症と診断され早 五 年、自活するのは難しくなりましたが、毎週礼拝に行きます。礼拝する母の姿を見て私達も幸せです。

あの時迫害されていなかったら、あの時日本に行かなかったら、我慢しなかったら、祈らなかったらと、こんな奇跡を私達の為に時間をかけて起こして下さったイエス様の愛を感じています。私達は自分の計画では無い海外生活を中断して母と共に過ごして居ます。次はどんな事が起こるのか神様に期待しています。


 「あきらめない」 M 沙紀

私は現在二四歳、五歳の息子、絆音の母として、実家住まいですけど働きながらシングルマザーとしての日々を過ごしています。

私にとっては今回のEC(カリフォルニアで行われるクリスチャンの集会)は2回目でした。
一回目は二〇〇七年、まだ高校生の時にマキキのユースとして参加させて頂きました。その時はマキキのユースは熱く、そのユースの先輩達に憧れ、同じように信仰を深めたいと思い、凄くECに行く意思は強いものだったのを覚えています。

それから七年たった、今回のEC参加。
七年間の月日の中には私自身にも色々な事がありましたが、ここマキキやユースの中でも変化のある期間であった事だと思います。私自身の中で大きかったのは、なにも言わなくてもなんでも知っていてくれたミセス黒田と毎週会えなくなる事と大好きで頼りになる先輩方がバイブルスタディーからどんどん旅だって行った事でした。

そんな事があっても普通のクリスチャンならば、次の世代を迎え入れる立場にたち神様の栄光を輝かせるかと思いますが、私は犯してしまったあやまちにより得た自分自身の傷はとても大きく、他のユースへの罪悪感がずっとあり、皆の価値を落としてしまったと思いその重みを感じ、自分のクリスチャンとしての成長を諦めていました。

過去ばかりにとらわれ、人の目ばかり気にするようになり、クリスチャンとして、ユースとして発揮する資格はもう自分にはない。無理だって諦めていました。
そんな不安と罪悪感を抱えながら向う事になった二回目のequipper conferenceでしたので、私は集会が始まるまでこの集会が私のクリスチャンライフへの新しいステップへの道を開いてくれるものとなるとは思いもしませんでした。

一回目の集会で早くもあたしに聞かれたのがあなたはイエスについていきたいと思いますか?という事でした。
もちろんですよって思いながらまだ中途半端な気持ちの私に語られた事はイエスについていく事で下さなければいけない決断があると言う事実でした。


イエスは、皆のものに言われた。だれでも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架をおい、そしてわたしについて来なさい。(ルカ九章二三節)

神様についていく資格はないと思っていた私にはこの聖書箇所に偉大な光がみえ、希望を持ち始めました。

それから大きなきっかけとなったのが地域別集会での出来事でした。
ハワイから参加していたみんなで集まり、それぞれの教会でグループになりシェアリングをした時の事です。そこではECにいたユース9人全員が今までとどまっていたマキキ教会への思い、学生バイブルスタディーへの思いが言葉になりどんどん出て来て、一人一人がこんなに熱い思いをマキキに持っている事を強く感じた時になりました。

最後のお祈りでは涙を流しながらお祈りしてくれた兄弟姉妹の言葉を聞きながら皆の心が一体になるのを感じ、私は心の底からマキキのユースと共に、イエスについていきたいと思いました。
それからはマキキの事、ユースの事を思いながら神様からの語りかけに全力で耳をかたむけ、一日一日を噛み締め五日目の最後の全体集会をむかえました。

その集会で全てにとどめをおすように、
強く言われた事が、諦めるな!
諦めるな、諦めるな、諦めるな!

始める前から諦めない!
途中で諦めない!
失敗しても諦めない!

神様が私達を諦める事はけしてないように、私たちも神様を諦めない!

過去のせいで自分のクリスチャンとしての成長を諦めてしまっていた部分があった私には凄く強いメッセージでした。ユースとして何もできなくなり、迷ってばかりの中途半端クリスチャンだった私に与えられた新しい道だと思っています。

神様についていきたいと思うなら、自分を捨て、十字架をおい、ついていかなければならない。中途半端なんか存在しない。
そしてどんな試練を通っても諦めない。
神様はこの六日間を通して多くの事を私に語りかけ、私の新しいクリスチャンライフへの第一ステップを開いてくださいました。

これからはその気持ちを忘れずここマキキ教会でクリスチャンライフを歩んでいきたいです。
 「感謝が人から神へ」 Y 博将 
           
私は昨年古希(70歳)を迎え人生の総決算の時代に入っています。これまでの人生を振り返ってみると人間にはそれぞれの時代背景の中に出会いがあり経験をしてそれぞれ歩み続けてきています。私たちの人生はしばしば旅人と言われ、その中に人との出会いがあり、その旅は誕生から終わりの日まで神の御計画で動いております。

神に出会う前までは自分より先に出た旅人より絶え間ない励まし力づけがあり育てられてきています。私たち人間は疲れればそのつどオアシスがありノンクリスチャンであれば人間による支えと自然恩寵を得ております。(クリスチャンであれば特別恩寵をいただいております)私は神に出会う前は人間関係の中で助けられそれに対し感謝をし、それなりの人生を感謝とともに過ごしてきました。

私たちの人生は絶え間なく成長をしてかなければならない。それには忍耐そして知恵を持って人生を送らねばならない。外なる人生の戦いは、ある時には休まなければなりません。自分を無にし、もっと自分自身を追求していく必要があるのではなかろうか。その時私はマキキ教会の天守閣が目に入り神のみ手が私に差し伸べられました。それと同時に聖書との出会いがあり、この聖書が自分の過去の人生修正ツールになり、道標となることに確信しました。聖書は誰も思い起こすことのできない記憶を持って歩んでいく歴史と契約の書です。

福音の招きにより私たちにそれぞれ違う道が開かれていきます。聖書と地図を見ながら広大な荒野を旅すると思いがけない方向に行く時があり、また聖書を学ぶ内部者になると相当なエネルギーを必要としますが、聖人たちに案内してもらうと祝福された聖地旅行に行ったようで楽しい発見ができ世界観が少しずつ変わってきました。

神を信じるようになったもう一つの理由は学生の時の不思議な霊的経験です。私が家から離れて生活していた時にある晩、酢牡蛎を食べ体中ジンマシンができて苦しんでいた時、翌朝母から電話があり「お前が苦しんでいた夢をみたよ」それを聞いて非常に驚きました。霊同士がお互いに交わりがあり、霊の存在を確信しました。

しかしこの不思議な記憶は長い間私から消えていましたが、聖書の中で人間は「体」「魂」「霊」からなる三重構造でこれこそ神の傑作であると書かれており50年以上の前の出来事が蘇ってきました。イエスを信じることで私たちに聖霊が内需され人間の意思を持って聖霊の勧めをしなければならないと聖書が語っていることが解りました。

私たち人間は社会関係の中でいろいろな問題が生じますが往々にしてパリサイ人のような身勝手な律法でその解決策にあたる。それでは改善する機会も失い成長ができなくなってしまう。神が人間を創造された一つの目的は人間同士の交わりの中で神を知らしめることでありそれには神の栄光を称えることが必要です。最後に、私の大好きな聖句ですが「そればかりでなく、艱難さえも喜んでいます。

それは、艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すことを知っているからです」(ローマ書五章三節〜四節) 、 神からの恵みが他動的に変化していく事が感じられますが、まだクリスチャンとして日が浅い私ですが神との関係は人間の知識、生活習慣、コミュニケイションがありこれは人間の領域として臭さを残し、イエスの導きを受け成長につなげたらどうだろうか、そして神の恵みに感謝をし、喜びを持って人生を過ごしたいものです。
「レインボー・コネクション」      N 新也                    
今回のRC(レインボーコネクション)でシェパロン(引率者)として高知に行かせていただいきました。私にとって高知は出生地であり高校卒業まで生まれてから一八年間過ごした土地ですので何も知らない場所に行くのではなく、里帰りするという気持ちも持ちつつの引率でした。

英語部のエイミーに一緒に引率をしようと誘われた時、行きたいという気もありましたが同時に自分が引率としていくことで他の誰かが行くという機会を奪ってしまっているのではないかという少しの引け目も感じました、ですが英語部、日本語部の牧師先生からも許可が出ているという事もあり自分としても行ってみたいという気持ちが強く参加を決意しました。

久しぶりに帰る故郷はやっぱり少し違っていて子供のころ通っていた建物が取り壊され新しいマンションが建っていたり、街中のアーケードが廃れていたりと寂しさを感じさせるものではありましたが、昔は農、海産物しか目玉のなかった地元が観光客にもPRしようと県全体で今流行の“おもてなし”を実践しようとしているのを見、いい風に変わっているのを感じました。

約二週間、経験したこと、学んだこと、数えきれないほどありますがこのRCで私がアンバサダーを通して気づかされた神様からの恵みだな、と思うのは人間的、信仰的な”成長”です。今回のアンバサダーは人の話を聞かない生徒ばかりだったので最初はやきもきしましたが日が進むにつれて彼らが日本の文化に慣れルールを守ろうと行動している様子、成長している様子、そんな成長の機会を見させてもらっていることに感謝しました。

RCの間、最初から終わりまでスケジュールがタイトで忙しく毎日ミーティングを持つことは出来なかったのですが、ある夜にミーティングをしたとき殆どのアンバサダーが「今僕らがハワイから高知に来たことはすべてが神様の計画でありよかった」と口々に言いだしました。どういう事かと聞くと出会うすべての人に良くしてもらい、礼拝のメッセージ等で彼らがRCで高知にいることすべてにおいて励まし肯定してもらった、その経験をもって彼らは自分たちのこの旅が神様の大いなる計画の一部だ、神様から使わされているのを感じたとのことです。

また、RCの間、アンバサダーは街中で会う人に自分たちは高知城をモチーフにしたハワイのマキキ教会からキリスト教を伝えるためにやってきたんだという事を何度も話していました。そのように街中で、また寮でも言葉のバリアはありましたがクリスチャンを知ってもらい、みんな赦され、愛されているという神様からの種まきをさせていただいたと思っております。

RCというのはハワイを出発する時から始まるのではなく半年以上も前に集まりファンドレイズ、フラの練習、おみやげの相談、証の作成、航空チケットの手配等多岐に渡ります。もちろん自分たちだけで用意することは出来ず、教会のいろいろな方にお世話になりました。この場を借りて助けてくださった方々への感謝とさせていただきます。そしてお祈りとファンドレイズなどのサポートありがとうございました。


バナースペース

マキキ聖城キリスト教会

829Pensacola Street. Honolulu TEL 808-594-8919