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MAKIKI CHRISTIAN CHURCH

GOOD NEWS

GOSPEL・福音 

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

(聖書:ヨハネの福音書3章16節)

アメリカ合衆国ハワイ州のオアフ島ホノルル市ペンサコラ通りにあるプロテスタント教会です。

ハワイへ移民した日本人である奥村多喜衛
(おくむらたきえ)牧師によって開かれ、奥村牧師が高知県出身であることと、邦人に伝道するにあたり、親しみのおける遠く離れた故郷【高知城天守】とそっくりな教会を建てあげました。

現在も多くの日本人が訪れ、交流の輪を広げています。
また、イエス・キリストの救いを世界中に紹介するための【灯台】の役目も担っています。
:::歴史:::
高知県出身で、大阪教会(現在の日本基督教団)で受洗し、同志社大学神学部を卒業した奥村多喜衛牧師が、1894年にハワイに移民として渡った頃に開拓伝道を行い始めました。

日系移民の信徒は増えて行き、1932年に会堂が完成しました。
太平洋戦争で多くの日系移民が迫害を受けましたが、それでも教会は弾圧に負けませんでした。

戦後も信徒は増えて行き、白人移民の信徒も増え始めました。この教会の教会員だった日系人の本山ジュリア春江牧師は、後に日本へ渡航し、長老派、バプテストのクリスチャンと福音交友会を結成し、京都、泉州、奈良の開拓伝道を始めました。

1983年には、本山ジュリア春江が開拓した福音交友会岸和田聖書教会で牧師をしていた黒田朔牧師が赴任し、多くの日系人・日本人クリスチャンの為に奉仕をして下さいました。

2012年、黒田朔牧師が清和女子中学校・高等学校に校長として就任、後に具志堅聖牧師が日本語部の牧師として奉仕されました。
2018年4月から、藤浪義孝牧師が任職され、マキキ聖城基督教会日語部を導いてくださいます。


GOOD NEWS

「父を想う」 T 朋子

私の父は典型的な九州男児。鹿児島に生まれ、七人兄弟の長男。
子供のころから「長男教育」をされて育ったといいます。その父は、とても厳しく馬から落ちてすぐにでも病院に運ばなければならない状況の中でもバケツに入った水をかけて帰ってしまったというちょっと前なら「スパルタ」今なら「虐待」とも言われかねない祖父だと聞いて私は育ちました。

残念ながら我が家には男の子が与えられなかったので、父のスパルタぶりを見ることは生涯ありませんでしたが、箸の上げ下ろし、玄関での靴の脱ぎ方、挨拶など、行儀にはとてもうるさく、今でも他所の家に上がるときは父の声が聞こえるくらいです。

そんな父も現役を引退し、シングルマザーの娘の手伝いにと、ハワイに通いはじめ、私たち家族がお世話になっているマキキ教会に、お礼詣りのように毎週集うようになりました。教会の方々に会うと「いつも娘と孫がお世話になっています。」と頭を下げ、同じ場所に座り、メッセージを聞き、ご飯を食べて帰るという日々が過ぎていきました。
毎月一回の家庭集会では、先生の話を聞きながら、その後の飲み会(?)を楽しみにしお酒が飲めそうな人を見つけると「まーまーまー」とお酌をする始末。

そのうち誰彼ともなく「お父さんはいつ洗礼をうけますかねー」という声が聞こえると
「私は長男でお墓を守らなければならないので・・」と丁寧にその場を逃げていました。

そんなある日の日曜日、村松兄が父に駆け寄り、「お父さん、昨日夢を見て、神様が、『山崎徹さんにイエス様を伝えて救われるように導きなさい!』と言われました。」とまことに大胆に語られました。私は一瞬どきっ!しましたが父が「ありがとうございます。」
と素直に感謝する姿を見て「今日がその時です。」という声が聞こえたかのようでした。

父は、ハワイ滞在の教会生活の中で、心が開かれ、聖霊を通して安心をして、その兄弟の声を受けたのでしょう。

「神のなさることはすべて時にかなって美しい」
(伝道書の書三章十一節)

その後はとんとん拍子に事はすすみ、マジックアイランドでのクリスマス受洗式には、5人の男子のみという素晴らしい日が迎えられたのでした。
皆さんから「お父さん」と声をかけられ、この世に男の子を授かることはなくともたくさんの息子のような方々に囲まれ、その後七五歳で昇天するまでの二年間は、新たな命と希望をいただいた日々であったと信じています。
今日の父の日、あらためて父を想う日でありたいと思います。
 「父の救い」 M  淳

この度、父が八八歳を目前として洗礼を受けました。わたしの三ヶ月間の実家滞在中に起きた出来事です。父は認知症の初期症状があり、教会生活も時々礼拝に出席する五年間でしたが、牧師先生が折りにふれ家を訪問してくれました。聖書を部分的にしか理解していない父ですが、イエスさまを信じる事だけはしっかり心に留めていたようです。

洗礼式は、帯広バプテスト教会の松崎牧師が執り行いました。実は、この松崎準牧師は、ハワイアンミッションアカデミーで勉強され、その後メンランドに行かれました。ハワイで過ごされた松崎先生と自分は心通じるものがあり、父の洗礼において一緒に神のみ業に感動しました。以下、帯広バプテスト教会へ掲載した証をご紹介します。
いつも教会で父(松浦清一)がお世話になっています。僕の父は趣味というものがなく仕事が趣味のような人でした。

多分、毎日の唯一の楽しみは今でも続いている晩酌です。最初は獣医をしていました。今の様にペット系ではなく、その頃は牛や馬が中心で、家畜の病気やお産などの助けをしていました。その後、人間を診る医者を目指していましたが、僕のおじいさんが無くなり長男ゆえ、五人の兄弟姉妹をやしなう一家の柱になり、その夢はかないませんでした。次の仕事は資金のない中で始めた氷屋でした。いわゆる冷たい氷・アイスの塊、大きいのは長さ一メートル、幅二〇センチぐらいを売っていたのです。

今では考えられませんが昔は氷を作る冷蔵庫がまだなかったのです。その仕事をしながら独学で法律を勉強し、司法試験を受け、何度もトライして七回目にして受かったそうです。それからずっとリタイヤするまで司法書士をしていました。
教会にくるきっかけと信仰について父は僕がクリスチャンになり、日本に帰国するたびに食事の時にする祈りをいつも快く聞いていてくれました。

五年前のある日、父は母と一緒に教会を探していました、恐る恐るドアを開けた教会がここでした。そこには、昔の仕事関係で顔見知りだった斉藤彰彦さんがいました。そして松崎牧師は僕が永住しているハワイに住んでいた事があったのです。そんな訳で父が打ち解けられた事も幸いです。きっと神様のお導きだったと感じました。

その父が三年くらい前から脳梗塞の後遺症により認知の症状が出るようになりました。話の内容が明らかに変であったり、会話にならない時も最近はあります。ちょっと前までは「お父さん、あす教会に行く?」と聞くと「うん、行こう!」といつも元気な返答が聞けました。

父は教会が好きです。また父は賛美歌の本が好きです。聖書はちょっと難しい所があるけど、この本はわかり易い、そしてなにか気持ちが安らぐなぁ〜と言います。頑固な面を持つ父親ですが、聖書の言葉は最初から疑問を持たず、真っ直ぐに入り込める父は幼子の様に純粋な信仰だと思います。父が元気なうちにバプテズムを受けられる様、そして兄弟姉妹の一員になれること、そしてイエス様に喜んでもらえる事が僕の願いでもあります。
 「迫害を受けることの幸い」 M 正英・世伊子

父と母がクリスチャンになった事は、奇跡の奇跡でした。私達夫婦はグアムでクリスチャンになり、私の両親にこの恵みと本当の神様を伝えたいと、毎年日本に帰省して神様の事を話していました。何年か経ったある日、キリストの話ばかりするからもう日本に来るな、「実家出入り禁止令」が降され、私も「父が死んでも、もう帰らない」と大げんか。

その時は憎しみさえ生まれたのです。祈っても無理、夫に祈る事を止める様に言いましたが、ローマ書 十二章十四節
「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。
祝福すべきであって、のろってはいけません。」夫は諦めないで一人で祈ってくれていました。

祈り始めて 十二年「助けて」と電話がありました。父は肝がん、母は転んで肩を脱臼して父の世話が出来なくなりました。何が有っても実家に帰らないと思っていた私が帰国したのは実に 六 年ぶり、今度は仕える者とさせてくださいと祈りました。病の父はそこに聖書を置くな、祈るなと言います。神様は私に黙りなさいと言われるので、父が何を言ってもじっとこらえました。これは私の力ではありません。

本当は悔しくて、お風呂で声を上げて泣いて祈っていたのですから。父は何も反論して来ない私を見て、「お前変わったなあ、ちっとも怒らん」と言っていました。
両親は大阪から息子の住む姫路に籍を置くことに決めました。二人では無理だし、海外生活の私達には見てもらえないと思った様です。
そんな不安状態の時に、私達の知り合いの伝道師の方が 三人も来て下さいました。

今までの感謝やこれからの祝福の祈りをして、一緒に続いて言ってくださいと言われた言葉は、何と信仰告白だったのです。            後から母は「もう私達の事は構わないでください。宗教は変えられないのです。」と言いました。帰られた後、私は父と夫は母と別々の部屋で話をしました。

「これから先、苦しくなったらイエス様助けてと言えば必ず助けてくれるから」そして、十字架のイエス様の事と極悪人が最期に救われ、永遠の命を授かった事を話しました。すると、父は「分かった、信じる」と言うの
です。別の部屋でも母が信じると言っていました。私達は「信じられません」
十二年間も反対し続けて迫害に会っていたのですから。二人を一緒に並べて、恐る恐るもう一度確認を取り信仰告白に導きました。父は私達の信仰を直ぐに飽きて止めるだろうと思っていたが、何年経っても熱心に毎週教会に行っている姿を見て、自分も同じ神様を信じて見ようと思ったそうです。聖霊様の働きを感じました。
使徒の働き 十六章三一節「主イエスを信じなさい。そうすれば…」この御言葉が成就されたのです。

姫路に引越しして、父は直ぐに入院、姫路の牧師さんが両親を病床洗礼へと導いてくださり、三ヶ月後父は天に召されました。我が家系初めてのキリスト教葬儀で、それは大宣教大会になりました。母は父が召された後、認知症と診断され早 五 年、自活するのは難しくなりましたが、毎週礼拝に行きます。礼拝する母の姿を見て私達も幸せです。

あの時迫害されていなかったら、あの時日本に行かなかったら、我慢しなかったら、祈らなかったらと、こんな奇跡を私達の為に時間をかけて起こして下さったイエス様の愛を感じています。私達は自分の計画では無い海外生活を中断して母と共に過ごして居ます。次はどんな事が起こるのか神様に期待しています。

 「感謝が人から神へ」 Y 博将 
           
私は昨年古希(70歳)を迎え人生の総決算の時代に入っています。これまでの人生を振り返ってみると人間にはそれぞれの時代背景の中に出会いがあり経験をしてそれぞれ歩み続けてきています。私たちの人生はしばしば旅人と言われ、その中に人との出会いがあり、その旅は誕生から終わりの日まで神の御計画で動いております。

神に出会う前までは自分より先に出た旅人より絶え間ない励まし力づけがあり育てられてきています。私たち人間は疲れればそのつどオアシスがありノンクリスチャンであれば人間による支えと自然恩寵を得ております。(クリスチャンであれば特別恩寵をいただいております)私は神に出会う前は人間関係の中で助けられそれに対し感謝をし、それなりの人生を感謝とともに過ごしてきました。

私たちの人生は絶え間なく成長をしてかなければならない。それには忍耐そして知恵を持って人生を送らねばならない。外なる人生の戦いは、ある時には休まなければなりません。自分を無にし、もっと自分自身を追求していく必要があるのではなかろうか。その時私はマキキ教会の天守閣が目に入り神のみ手が私に差し伸べられました。それと同時に聖書との出会いがあり、この聖書が自分の過去の人生修正ツールになり、道標となることに確信しました。聖書は誰も思い起こすことのできない記憶を持って歩んでいく歴史と契約の書です。

福音の招きにより私たちにそれぞれ違う道が開かれていきます。聖書と地図を見ながら広大な荒野を旅すると思いがけない方向に行く時があり、また聖書を学ぶ内部者になると相当なエネルギーを必要としますが、聖人たちに案内してもらうと祝福された聖地旅行に行ったようで楽しい発見ができ世界観が少しずつ変わってきました。

神を信じるようになったもう一つの理由は学生の時の不思議な霊的経験です。私が家から離れて生活していた時にある晩、酢牡蛎を食べ体中ジンマシンができて苦しんでいた時、翌朝母から電話があり「お前が苦しんでいた夢をみたよ」それを聞いて非常に驚きました。霊同士がお互いに交わりがあり、霊の存在を確信しました。

しかしこの不思議な記憶は長い間私から消えていましたが、聖書の中で人間は「体」「魂」「霊」からなる三重構造でこれこそ神の傑作であると書かれており50年以上の前の出来事が蘇ってきました。イエスを信じることで私たちに聖霊が内需され人間の意思を持って聖霊の勧めをしなければならないと聖書が語っていることが解りました。

私たち人間は社会関係の中でいろいろな問題が生じますが往々にしてパリサイ人のような身勝手な律法でその解決策にあたる。それでは改善する機会も失い成長ができなくなってしまう。神が人間を創造された一つの目的は人間同士の交わりの中で神を知らしめることでありそれには神の栄光を称えることが必要です。最後に、私の大好きな聖句ですが「そればかりでなく、艱難さえも喜んでいます。

それは、艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すことを知っているからです」(ローマ書五章三節〜四節) 、 神からの恵みが他動的に変化していく事が感じられますが、まだクリスチャンとして日が浅い私ですが神との関係は人間の知識、生活習慣、コミュニケイションがありこれは人間の領域として臭さを残し、イエスの導きを受け成長につなげたらどうだろうか、そして神の恵みに感謝をし、喜びを持って人生を過ごしたいものです。

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