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 「人を大切にすることが結局は自分のためにもなる」

 
 
奥村多喜衛(おくむらたきえ)牧師は、「サムライ牧師」とも呼ばれ、ハワイにお城の教会を建てた牧師です。2015年には、生誕150年ということで母校同志社大学で「奥村多喜衛展」が開催されました。

奥村牧師が生まれたのは慶応元年(1865年)4月18日に高知の田野町で誕生。
父親は土佐の士族。幕末には土佐藩主の山内容堂に郡奉行として仕えました。

明治に入ってからは紙製造、砂糖や鰹節の販売、海産物の輸出、樟脳精製などの事業をおこないました。 父親が亡くなった後に奥村牧師は大阪へ出ます。後に大阪府警の書記官となり、大阪の米穀商の娘さんと結婚。

大阪教会に通い、夫婦で宮川経輝牧師から洗礼を受け、牧師となることを決めた後に、同志社大学神学部に給費生として入学。1890年(明治23年)。

大学2年生の時にハワイで牧会をしていた日本人牧師が同志社神学校を訪れました。

その時にハワイでの移民日本人社会の事情についてメッセージが語られ、主の助け人が必要であることを、学生たちに呼びかけました。

大学卒業後、ハワイキリスト教会アソシエーションのハワイアン・ボードに招かれハワイに行きますが、そこでの日本移民の過酷な現状を見たのです。

そこで、聖書のいう秩序を移民日本人社会へ伝える為には自分自身がハワイに移住する必要があるとの考えに至り、1896年に家族をハワイに呼び寄せたのです。
1951年に亡くなるまでの生涯をハワイの日本人移民と日系人のために祈り、人々に寄り添い続けたのです。

1894年教会の開拓を開始、ハワイ州オアフ島のホノルル市にマキキ聖城基督教会を建設。信徒数が増えたため、教会は1932年には新会堂を建設。この新会堂がハワイの高知城と呼ばれる、マキキ天主閣なのです。

生まれ故郷の高知城の天主閣に似た教会堂を作り、移民してきた日本人を励まし、日系人に日本人の心を見せたのです。

管理人の大好きな言葉に「信愛天下無敵」という奥村牧師の言葉があります。主を信じ世の嵐の中を進む時、その最前線に立って戦ってくださるのは私ではなく「主」であること。恐れることなく主の最善を私は成すのみ。本当に励ましを受ける言葉です。

日本を遠く離れていても、移民の人も、ハワイの日系二世の人たちにも日本人としての誇りを忘れずにアメリカで主にあって活躍してもらいたいというのが祈りであり、願いでした。

太平洋戦争が始まり、ハワイでは多くの日系移民が迫害を受ける悲惨な状況になりましが、教会は弾圧に屈することはありませんでした。

現在のマキキ聖城キリスト教会は、主が祝福してくださって多くの方々が主日礼拝を守っておられます。米国人も、ローカル人も、日本人も、2世、3世、天主閣に守られ、信仰を喜んでいます。

奥村牧師は、経済的には大変ご苦労された方です。しかし、彼の主にある「証」が人を大切にし、人を動かし、その人がまた人を育てる。

お金はないけれど、お金では決して買えないもの「信仰」を大切にしたのです。
このような「信仰」を見て、主の十字架こそ救いであると「告白」し、多くの主にある兄弟・姉妹が奥村牧師を祈りと、献金で支え続けたのです。

奥村牧師はまず、人を大切にしました。人を大切にすることで、主が祝福してくださり、ご自分も主よりの大いなる祝福を受けることになりました。

「信愛天下無敵」このような信仰を受け継ぐ一人一人として今後もマキキ教会が世界に誇る、どのような形に今後なるかわかりませんが、その「天主閣」から放たれる主の栄光を継承していきたいものです。